様々な症状の原因となる拘束をスッキリ解消し、
新しい身体世界を発見する方法
「拘束前腿解消法 初級」&「拘束外腿溶解法 初級」 (高岡英夫・談)
前ももの拘束が無意識、潜在意識を通して、その人の心を攻撃する
高岡先生(以下、高)――ところでからだ君は拘束前腿(太ももの前側の拘束)や拘束外腿(太ももの外側の拘束)のような「やだな」とか、「うっとしいな」とか、「取り去りたいな」とか、そういうふうに感じる不快な拘束はある?
からだ君(以下、か)――あります、あります! とくに仕事をしていて、締め切り前になると気持ちが急かされてしまって、作業中はまったく気がつかないのですが、終わった後に急いでいる気持ちが前ももに拘束となって現れているのがわかり、すごく不快になることがあります。
高――なるほど。下半身はついていかないで上半身ばかりが前へ前へ焦って突っ込んでしまうという、いわゆる“前のめり”になるというやつですね。それじゃ急ぎの仕事が終わった後は、前ももがとても疲れているでしょう。
か――はい、とても疲れています。これは別に仕事だけではなくて、日常生活や人間関係についても言えますね。たとえば、急ぎの用事などでどうしても電車に間に合うように飛び乗らなくてはいけないときに、全速力で走って運良くなんとか電車に間に合ったとしても、ようやく一息ついた頃になって「うわー、前ももをすごく使って、へばっているな~」と気が付くんです。
高――前ももに疲れを感じるんだね。
か――そうなんです。前ももにものすごくストレスを感じるのです。
高――でも、それはからだ君が今までに身体をゆるめたり、開発したりするトレーニングを積んできているから、そのようなふとしたときに冷静に自分を観察することができるのですよ。
こういうトレーニングをやってこなかった人は、そのことに1ミリも1グラムも気がつかないですよ。気が付かないのにもかかわらず、前ももの使われ方やその疲労が、無意識、潜在意識過程を通して、その人の心を攻撃するわけです。つまりストレスになってしまうわけですね。
拘束があるかないかによって、同一の出来事でも反応の仕方がまったく別のものになる
高――そして、それはそのレベルのストレスになるだけではなくて、仕事に対する自分の反応の仕方自体が自分の中にさらなるストレスを生み出していくのです。だからもし、前ももの拘束が解消されていたら、からだ君はどう感じると思う?
か――もちろんずっと快適になると思いますし、仕事の環境とは切り離して自分を良い状態にキープできるのではないでしょうか。
高――そうだよね。つまりもう少し説明すると、仕事そのものは一つの客観的な事実ですが、たとえまったく同一の仕事が与えられたとしても、自分の前ももに拘束があるか、拘束が取れて解消されているかによって、結局本人にとっての主観的意味での仕事がまったく別のものになってしまうのです。
だからもしかすると、拘束前腿がある状態でものすごいストレスを受けるようなひどい仕事があったとしても、拘束前腿が取れていたら、まったくそうは思わないかもしれないのです。逆にすごくスリリングで「これってすごく楽しいかもしれな~い♪」といって、その状態をものすごく楽しめるかもしれないのです。
か――そうなったら理想的ですね。
高――面白い話なのですが、私たちの体と心を通した仕事、あるいは家庭を持っている人だったら家庭の煩わしいことと、それに対しての自分の反応の仕方には密接な関係があるということを、ほとんどの人は理解していないのです。
か――そうですね、知らないでしょうし、わかっていないでしょうね。
高――現代の心理学や身体科学、あるいは精神身体医学、つまり心療内科のようなもの、さらには脳科学などの分野でも、まだ誰も気が付いていないのです。それを私たちはもう理論的にはもちろんのこと、トレーニング方法を通して実践的にこのことを理解している。というよりもすでに使いこなしているのです。進んでいますね、私たちは、圧倒的に(笑)。
か――そうですね(笑)。
主観と客観にハッキリと差分が生まれている
高――今度は太ももの外側を見ていきましょう。どうだい、からだ君、太ももの外側に力が入ってしまって「なんかまっすぐ力を地面に加えられていないな」とか、「まっすぐ地面から力(物理学的には抗力)をもらえていないな」とか感じることはあるかい?
か――いっぱいありますね。私は武術を学んでいるのですが、稽古をしているときに鏡を見ると、自分のももの外側に力が入っていて、身体の中心に乗りたいのに外側に乗ってしまっている自分に気付き、鏡の中に手を突っ込んで、鏡の向こうに写る自分の外ももやひざを外側から押してでも矯正したくなるような衝動に駆られることがあります。
高――それって身体の内観としてはどう感じているの?
か――自分では中心に乗っているつもりなのですが、でもまだ今イチ乗り切れていないというのがわかっていて、それを鏡で見ることで「あっ、やっぱりまだきちんと乗れていない。外側に力が入っている」というのが客観的に見えてしまうのです。
高――つまり“乗っているつもり”というのは、正確に言えば“乗ろうとしているつもり”ということですね。
か――はい、そうです。
高――乗ろうとしているつもりになっていて、常時トレーニングしているわけだから、そこそこ乗れているつもりになっているということですね、からだ君自身としては。でも鏡を見ると…。
か――客観的に見て、まだスパーンとセンターに乗り切れていないのです。
高――それは結局、主観と客観に差があるということです。これは、こういうトレーニングしている、していないにかかわらず、差が存在すること自体は皆さん同じことなんです。トレーニングをしている人は、当然「拘束外腿」という概念、考え方も知っているし、トップ・センターなどの最重要な身体意識のトレーニングをやっていることで、いまちょうどからだ君が言ったような身体の中心、真ん中にある程度乗れているつもりになっているということです。しかし客観的に見ると違っている。主観と客観にハッキリと差分が生まれている。
一方、このようなトレーニングをやっていない人はどうかというと、自分が写っている鏡とか、後ろから誰かが偶然自分を撮ったスナップ写真やビデオをふと見て、びっくりすることがあるんですよ、自分の格好悪さに。自分ではもう少しまともだと思っているのでしょうね。まさにその人の主観と客観の間に落差があるのです。
か――そうでしょうね。本人の主観だけですと、まず気付きませんから。写真やビデオなどで偶然サッと自分の姿を第三者として見たときに、初めて見えてきて驚くのです。
拘束外腿は、もっとも大事な基本運動“歩き”を脅かす極めて危険性の高い拘束
高――この「拘束外腿溶解法」に参加される方は、それ以前に達人調整を経験していたり、ゆる体操でとくに股関節周りをゆるめる「かかとクルクル体操」だとか、「腰クネクネ体操」だとか、拘束外腿にある程度働きかける体操法などに関心を持ってきた人が多いですよね。そうすると今度は、股関節を中心にして拘束外腿自体が気になってしょうがない、という状態に移行してくるわけです。
でもじつはこの感覚は、主観と客観が近づいているという証拠なのです。逆にいうと差分を感じやすくなるということです。つまり差分が近づいている人の方が微妙な差分を感じやすい、という性質があるわけです。当然、その差分が近い人の方がその差分を強く埋めたいという欲求が高まるわけですから。
か――なるほど。
高――「拘束外腿溶解法」に今まで参加された方々というのは、多くの方がそのような状態になっていました。一方、その差分があんまり開いてしまっている人というのは、気の毒なことに講座に参加する動機やモチベーションが持てないのです。
拘束外腿は、非常に身体的にも精神的にも問題の多い拘束です。ハッキリと身体的な障害を潜在的、顕在的に作り出していく極めて危険なものでもあるのです。
か――具体的にはどのような障害が現れてくるのでしょうか。
高――まずは歩きが下手になる。若いうちは歩きが上手くないとか、歩くのが好きではないというレベルに留まるのですが、それがある年齢を越したときには、今度は実際に歩けなくなるのです。その歩けなくなるということには、アナログ的に程度の差があります。つまり以前は駅まで楽々歩いて行けたという人が、歩いていけなくなったり、あるいは途中で3回も4回も休まなくてはいけなくなるわけです。もっと進めば、杖をつかなくてはいけないとか。
か――老化が早まってしまうわけですね。
高――そうです。拘束外腿はアナログ的なことでもっと進行が進んで行くと、調子のいい日にしか歩けないということになったり、車椅子や介助が必要になったり、そのような悪しき症状を引き起こす原因になる拘束です。
だから拘束外腿は、歩くという、人間にとってもっとも大事な基本運動を脅かす極めて危険性の高いと言えるのです。
イチローや浅田真央でさえ、拘束外腿がある
か――そうすると、普段拘束外腿の存在に気が付いていない人でも、この講座に参加することで、初めて「拘束があったんだ」と気付く人も出てくるかもしれませんね。
高――その通りですね。思い切って本当のことを言ってしまいますが、現代の日本人で拘束外腿がないという人はいないのです。あのイチローでさえありますから。イチローの場合、シスラーの年間最多安打記録を破った2004年の頃が一番拘束外腿が少なかった。
それをいわば良い意味でのピークだとすると、それ以降はどんどん拘束外腿が強くなってきているんですよ。それが彼の成績の低下や存在感全体の老化を加速させている原因になってしまっているのです。いわんや一般の日本人で拘束外腿がないなんていう人はありえないですね。
か――そうですか。話が少し逸れるかもしれませんが、3月に行われた女子フィギュアスケートの世界選手権で、浅田真央選手の立ち姿を見ていたら、以前より身体の外側に乗っているように見えました。あれも拘束外腿ということになるのですか?
高――その通りです。からだ君、たいへん鋭い観察ですね。おそらく私どもの「拘束外腿溶解法」の講座に参加された方は、そのときの映像をご覧になれば誰もが気付けたのではないでしょうか。でも拘束外腿の理論やトレーニングをまったくしてこなかった人は気付けないかもしれません。彼女は一見したところ、とてもスラッとしたキレイな脚をしていますから。
か――そういえば先日、高岡先生の講座にご参加された方が、その世界選手権での浅田選手をご覧になったときに、拘束外腿とともに上半身の肋骨も固くなっているように見えたと話してくれましたが、それも拘束外腿と何か関係があるのでしょうか。
高――もちろんです。拘束外腿が強くなると、身体全体が箱状化、鎧化してくるのですから。厳密にいうと、体幹部に関しては箱状化、全身に関しては鎧化してくるのです。それらは相関関係にあります。肋骨が固まることと、拘束外腿が強くなることは、お互いに原因と結果の関係になっているのです。
じつは私は、浅田真央選手の拘束外腿が強くなることについては、ある程度予想していました。彼女が13歳くらいの頃ですから、トリノオリンピックの前でしょうか、その頃の彼女の日常生活、つまりスケートをやっていないときの歩くシーンをテレビで放映していたのです。斜め後ろからのアングルでしたが「あっこの子、大きくなったら拘束外腿が強くなるな」と、そのときに感じたのです。
主観、客観ともに新しい身体世界をクリエーションしていく
高――だから、先ほど申し上げた主観と客観の差分「自分の拘束外腿はひどいからなんとかしないと」と思えるということは、客観的な現象に対して主観的な認識がかなり接近しているということです。喜んでいいことなのです。そういう人たちは本講座に参加できるだけの動機が十分にあるのですから、もちろんどんどん参加していただけばいいのですが、問題は気が付いていない人たちですよね。
つまり主観と客観の差分が広すぎる方、こういう人も今回の話をお読みになって、「そういうものかな」と思って、ぜひ参加してみてください。ぜひ新しい身体世界を知る、得るということのためにもお出でいただきたいと思います。
つまり身体世界というのは、抽象的に存在するわけではないのです。メカニズム自体は一つの学術的な理論という形で取り上げたときには、当然論理構造が一般的な法則として現れてきますから、もちろん抽象的なのです。しかし身体世界そのものは現実ですから、ご本人が拘束外腿溶解法というものをトレーニングすることで、ご本人の中に拘束外腿があるということを初めて知り、そしてそれと合わせて理論的にそれを知り、さらには身体に拘束外腿があると不快だ、ということに気が付くわけです。
つまり自分のその精神を、無意識、潜在意識過程を通して攻撃しているという事実に出くわすのです。それは、優れた方法をトレーニングしていくことによって出くわすわけですから、すでにそのときに不快さをある程度解消することの快適感を得られる心身の状態というものにも出会えるわけです。
これらが新しい身体世界の発見になるのです。ですから身体世界というのは、このように創造、クリエーションしていくものなのです。だからそのクリエーションをいろんな方面に向かって拡げていくことで、身体世界も事実として拡がっていくわけです。
ご本人にとっては、そのことが主観的な事実であると同時に、私の指導する講座で身体世界を拡げていただければ、学術的な理論がきっちりと全部裏付けになっていますから、客観的な理論としても身体世界は拡がっていくのです。そこのところが非常に大事なところだし、私が自信を持って皆さんにお勧めすることができる所以なのです。
(了)
2010年5月3日(祝)15:30~20:00 東京開催「拘束前腿解消法 初級」
2010年5月4日(祝)15:30~20:00 東京開催「拘束外腿溶解法 初級」
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