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「2020年東京オリンピックで、空手が追加種目に選ばれたことについて」
皆さんもご存じの通り、2020年の東京オリンピックの追加種目に、空手が決まりました。
しかし今、伝統的な空手の競技化が進む過程で、看過できないことが表面化してきているので、ここで問題提起をさせていただきます。私が空手というものを大切に思うがゆえの発言であることをご理解の上でお読みいただければと思います。
オリンピックでは、組手が男女3階級ずつ、形が男・女の2種目で、全8種目が採用になりましたが、組手に出場する選手も、形の部に出場する選手も、伝統的な空手が、一番大事にしてきた拳の握り方が、かなり崩れてきていることが目につきます。
昨今の空手のトップ選手の拳は、人差し指がかなり前に出ていて、拳頭の部分ではなく、指の第二関節が先端に出ている握り方をしています。
こうした握り方では、実際に相手の身体やモノに当たれば、自分の指の方が怪我をしてしまう指遣いであり、当然打撃の威力もありません……。
そういう前提のもとで、オリンピックの大舞台で、本来武道さらに古くは武術であった空手をスポーツ競技として行うのはいかがなものかを、関係者に問いたいのです。
現状のままでは、組手にせよ、形にせよ、姿形で、勝敗優劣を競うわけです。だとしたら、基本となる拳そのものも、姿形で評価すべきではないでしょうか。
例えば、人差し指一本の形が悪かったので、●ポイント減点といった具合に、非常に細かくジャッジすればいいのです。
そうしたら、空手ももっといい競技になるはずです。
なぜそこまでこだわるのかというと、やはりきちんとした拳、拳頭が使えないような身体遣いをしてしまうと、全身がそれに調和するようになってしまうからです。
空手が今後も正式種目になれるかどうかのカギは“本質力”にある
現在の空手の選手たちが、どうしてああした拳の握り方をしているのかというと、試合においては、「とにかく速い突きを繰り出せばいいんだ」という価値観で、速さだけにプライオリティを置いてそれを希求しているからです。
速さだけを求めると、どうしても“軽み”の方向に傾いていきます。どんどん身体を軽く使う世界に向かっていってしまうのですが、考えてもみてください。
どんなスポーツであったとしても、対戦型のスポーツで軽みだけで済む種目はありません。野球、サッカー、バレーボールなどは言うまでもなく、バトミントンのような軽いシャトル(=羽根。1個の重さは4.74g~5.50g)を使う競技でも、スマッシュを打つときは、ラケットからシャトルにズシーンと最大の重みが移動するように選手は打とうとしています。
事実、バドミントンの選手は、いい選手の強いスマッシュを受けると、たしかに強い重みを感じると言っています。
卓球でも事情は同じで、回転の利いた重い球を打つ選手に打ち込まれると、わずか2.67~2.77gのピンポン玉でも重くて、打ち返せないことがあります。
やはりこれが、スポーツというものの本質であるはずなので、現在のJOC加盟の空手競技団体の選手たちのように、突きという運動の重みを否定してしまうのは、後世に負の遺産を残すことになるのでは、と危惧しているのです。
せっかくオリンピックに出ることで、世間の注目度も高まるわけですから、拳づくりはきちっと伝統に則って重視して欲しいのです。
別に、前時代的な、瓦や板を割ってみせる「試割り」などを試合の一部としてやる必要はありません。
その代わり、拳の形については、口酸っぱくなるほど、正しい形にこだわって指導し、採点の対象とするべきです。
アイススケートなどは、驚くほど細かいところまで審査対象にして、競技化できているわけですから、空手もやる気になれば当然できるはずです。
拳がきちっと握れていること、そして拳(突き)に重みが感じられる突き動作であること。そうしたことをきちっと評価して欲しいのです。
そうすることによって競技全体のパフォーマンスが格段に高まることを期待します。
もっと全身をゆるませて、そこから重みを発生させ、肩甲骨でいえば、立甲→甲腕一致→甲腕回旋力が格段に必要になってきます。
その結果、スピードもあって、実際には打撃していないにもかかわらず威力のある空手になり、スポーツの身体運動としてより本道を追求するものになって、もっと本質的な意味で魅力的になるはずです。空手が今回の東京オリンピック限定の種目のまま終わってしまうか、それとも今後も永続的な正式種目になれるかどうかは、こうした本質力を競う種目になれるかどうかにかかっていると、私は考えています。